『福井テレビ開局50周年記念番組 聖職のゆくえ~働き方改革元年~』を見ました。
教師の働き方をテーマにしたドキュメンタリーです。
第28回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品、
さらに日本民間放送連盟賞テレビ報道部門「最優秀賞」受賞とのこと。
その元凶は「給特法」という半世紀前にできた法律であるという問題提起でした。
番組を見て感じたことやモヤモヤしたことを書きたいと思います。
公立中学の先生の職場に密着取材
公立中学校の先生がお仕事している現場に密着取材がおこなわれていました。
学校の先生の職場に密着取材すること自体がとても難しかったようです。
あちこち断られまくって、最終的には番組制作者の母校にお願いしてなんとか受け入れてもらった様子。
先生の業務スケジュールは本当に過密。ひと息つく間もなくみっちりと仕事が詰め込まれています。
授業だけでなく職員会議、資料作り、掃除指導、部活の顧問・・・
定時とか残業とかの概念すらない様子です。
1ヵ月の労働時間を集計してみたところ、平均80時間超え。100時間オーバーも数人。
部下の育成や後輩のサポートをする余裕はない!?
うつ病になる学校の先生が多いという話は、もう10年以上前から耳にしていました。
実は身内に教師経験者が何人かいます。
また、いとこが教師になって1~2年で体調を崩して辞めてしまったという話も聞いたことがあります。
当時は、若い先生が体を壊してすぐ辞めてしまうケースが多いと聞いていました。
一般企業のように上司や先輩が部下を育成する仕組みが整っていないため、大学を卒業したばかりの若者がやり方もわからないまま一人でたくさんの仕事を抱え込み、壊れてしまうのかな・・・という印象でした。
どうして先輩の先生が教えたりサポートしてあげないんだろうね・・・という素朴な疑問を身内の教師経験者にぶつけたところ、「その先生も誰にも教わらずに自分でやってきたからだよ」と言われて絶句しました。
今の時代、それはおかしい!その結果、若い先生が次々と辞めてしまうという大きな問題が出ているのに・・・と当時憤りを覚えたものです。
でも、この番組で密着取材を見て納得しました。
後輩のサポートをしている余裕なんてまったくないと思います。
元凶が「給特法」なのは間違いない
公立学校の教員については「給特法」という法律があるそうです。
(正式名称は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」)
学校の先生は聖職者。聖職者に労働時間や残業代という概念はそぐわない。という考えから、「教職調整額」として定額を支給するかわりに残業代や休日出勤手当は一切支給しないことを定めた法律です。
当時、教師の時間外労働は月8時間くらいが平均だったため、「教職調整額」は給与の4%相当額と定められています。
たとえば月給30万円なら月1万2000円。
これで何十時間でも先生に残業や休日出勤をさせることができるんです。
ありえないですね。
「子供たちのために」という大義名分
番組を見ていて感じたのは、
「子供たちのために」といってどんどん業務が増えていく。
子供たちのためにやっていることだから、一度始めたものはやめることができない。
こうして月8時間程度の残業では到底収まるはずもない膨大な業務を抱えることになるのではないか、ということです。
「子供たちのために」と言ってやることが増えてしまうのは保護者からの要望なのかと思いきや、意外と先生たちの中から子供達のためにやるべき(やめずに続けるべき)という声があったりして驚きました。
(番組には出ていなかっただけで実際には保護者からの要望もあるのでしょうけど)
残業代がつかないから優先順位をつけて判断できない
教師に限らずどの仕事でもそうだと思いますが、「やった方がいいこと」はいくらでもあります。
でも限られたリソース(人手や予算)の中で優先順位をつけてやっていくしかないですよね。
あれもこれもやっていたら人件費がかかって仕方ないですから。
「やった方がいいこと」であっても優先順位が低いものはやらない。
もっと優先順位の高い「やった方がいいこと」が出てきたら、どれかをやめる。
普通の企業なら、そういう判断をしながら運営していくと思うんです。
でも「給特法」があるために、リソースが無限であるかのように勘違いしてしまう人がいるのだと思います。
先生はいくら働いても残業代がつきませんから。
仕事が増えても先生ががんばれば済む話です。
今までの先生は頑張ってきたのだからあなたも頑張れるでしょう。頑張れないのはあなたの力不足・・・みたいな。
だから精神科にかかりながら「自分が悪い。自分の力不足」と感じている元教師が多いのではないでしょうか?
番組内では精神科医のコメントも出ていて、その医師は1日平均2人は教師(元教師)を診察しているとのこと。
しかもそうした人たちの100%が、「病気になったのは自分が悪い。自分の力不足」と考えているそうです。
先生は残業代無しで働かせ放題。
リソースが無限だと思っていたら、優先順位の低いものをやめるという判断はできません。
「給特法」改正の動き
現在、ある現職教師の方が署名を集めて、給特法の改正を国に訴えておられるとのこと。
▼こちらの本を共著で出されている方です。
これはお金の話ではなくて健康の話であり命の話。
そして教育の質の話であり、子供達の未来に関わる話です。
いくら働かせても残業代が発生しないなら、どんどん仕事を押し付けられるに決まってます。
家庭を犠牲にしなければならないほど長時間働いていれば、仕事に対するモチベーションも下がるでしょう。
十分な睡眠時間が取れないほど働いていれば病気になるのは当然です。
番組でも、若い先生がうつ病で自殺した例や、脳梗塞で亡くなった例が紹介されていました。
教師とはそういう職業なのだという認識が広がれば、教師を目指す人がいなくなります。
現に、教師を志望する人は激減しているそうです。
つまり、子供たちは優秀な先生に教えてもらうことができないということです。
「結局、金がほしいのか」なんて叩いてくる人がいたら、そういう人は何もわかってないだけ。5センチ先しか見えてない人たちなので放っておけばいいと思います。
ご本人は、「自分が矢面に立つ覚悟で」とおっしゃってましたが、そもそもどうして個人が矢面に立ってやらなきゃいけないの?と不思議でした。
学校の先生には日教組という大きな労働組合みたいなのがあったと思いますが、どうなってるの?
「給特法」は半世紀も前に作られた法律ということですが、今までどうして見直しや廃止がされなかったのか不思議です。
「お金」の問題からスタートするのは有効
物事を改革するためのきっかけとして「お金」の問題からスタートするのは非常に有効だと思うんです。
「やった方がいいこと」を次々とやっていって(またはやめられなくて)、仕事が膨大に膨れ上がっているのであれば、「お金」を意識することでそれを抑制することができますよね。
たとえば、宿泊研修を実施するために先生の労働時間がトータルで何時間増えるのか、それに対して残業代がいくら発生するのか。
その金額をかけてでも宿泊研修はやるべきなのか。
または宿泊研修を実施するための労働時間分を、他の仕事を削ることで減らせないか。
どの仕事なら削ることができるか・・・
こんな風に、優先順位の低いものをやめるという判断ができるようにもなると思うんです。
現在は、先生たちがヘトヘトになりながら、ちからわざで膨大な業務をこなしている状況だと思います。
先生の本来の仕事は「教えること」。
授業内容を工夫したり教える技術を磨くことに力を入れてほしいです。
先生方が雑務に忙殺されているのを見ると悲しくなります。
決定権をもつ人はいないの?
番組を見ていてモヤモヤした点があります。
2年生の宿泊研修を続けるべきか廃止するべきかという議論の場面がありました。
先生の中でも「これって必要なのかな?」「必要ないんじゃない?」という声は出ているんです。
- 先生の負担が大きいから廃止してもよいのでは?
- でも修学旅行の前に一度子供たちで宿泊する経験をさせて不安を払拭した方がいい
- 小6でも修学旅行で宿泊しているのだから必要ないのでは?
などなど、2時間話し合って結局継続することになったのだとか。
話し合うのは良いと思います。
でも最終的にやるかやらないか決めるのは誰なんでしょう?
なんだかモヤモヤしました。
教頭先生や校長先生など、責任ある立場の人が「新しいことをやりましょう」とか「これはやめましょう」など、強いリーダーシップをもって決められるような仕組みにはなっていないのでしょうか?
先生たち全員が納得しないと新しいことを始められない。あるいは全員が納得しないとこれまでやってきたことをやめられない、というのでは柔軟に変わっていくことは難しいのではないかなと思いました。
・危険だと批判があっても運動会の組み体操をやめられない。⇒詳しくはこちら
・2分の1成人式をやめられない。⇒詳しくはこちらの記事 ⇒詳しくはこちら
・熱中症の危険があっても部活を休みにすることができない。⇒詳しくはこちら
こういうのは、やめることで先生の負担も軽くなるのにどうしてやめないんだろう・・・と不思議でしたが、もしかしたらこういうことが原因なのでしょうか。
働き方改革で重要なのは
給特法が廃止されて残業代を請求できるようになったとしても、職場の意識が変わらなければ結局長時間労働はなくならないのかもしれません。
職場の意識を変えるためにはどうすればよいか?
一般の企業に置き換えて考えると、働き方改革では「トップからのメッセージ」が重要だといわれています。
企業のトップが「効率よく働き、長時間労働をなくす」と決意して、その方針を繰り返し社内に説明して浸透させるのです。
では、トップが「働き方を改革しなければならない」と決意するのはどういう時かというと、
- 社員が体調を崩してどんどんやめていく
- 今のままでは良い人材が集まらない
- 残業代がかさんで利益が出ない
- 残業代が払えなくて監督署の是正指導を受けた、裁判を起こされた、企業名を報道された
- 過労死等によって裁判を起こされた、企業名を報道された
などではないでしょうか。
ここで危機感をもって改革できている学校も一部にはあるのでしょう。
でもまだまだ多くの学校が改革には至らないようです。
であれば、トップを動かすために、現場の先生たちに「残業代を請求する権利」という武器を持たせてあげることは大きな一歩になるのではないでしょうか。
また企業の場合は、残業代の不払いや過労死などで企業名が公表されることをとても嫌います。
イメージが悪くなり社会から批判されるので当然ですね。
学校の場合も、不名誉なことで学校名が大きく報道されるような事態は避けたいのではないでしょうか。
今回、「聖職のゆくえ」というテレビ番組が注目されて、学校という職場の実態が世間に知られるきっかけとなりました。
給特法が廃止されたあかつきには、日本中あちこちで先生たちの残業代請求訴訟がおこなわれ、マスコミでもそれが大きく報道され、「学校という職場はおかしい」「校長はいったい何をしてるんだ」という批判が高まり、学校が変わらざるを得ない状況までいけば理想的ですね。
そのためには、先生たちも裁判を起こしてでも残業代を請求して戦っていくことが必要だと思いますし、責任の所在(校長先生や教頭先生でしょうか?)をはっきりさせておくことも必要なのではないかなと感じました。