目黒区の5歳児虐待事件(2018年)や、名古屋の中学受験生刺殺事件(2016年)などの報道で、「教育虐待」という言葉が注目されています。
ここまでひどいことはしませんが、わたし自身も子供に対して「教育虐待」をしそうになった、いや、してしまったかも・・・という思いがあります。
教育虐待とは? 後に後遺症が出ることも
「教育虐待」とは、「あなたのため」という大義名分のもとに、親が子供に対して行き過ぎたしつけや教育をおこなうことを指すのだそうです。
そのときはがんばって勉強できるようになったとしても、大人になってうつ病や依存症など精神的な病にかかったり、感情のコントロールができなかったり、死にたいと感じるようになるなど、後遺症が長く残るのだとか。
法律で親による体罰禁止が定められ2020年4月から施行されますが、教育やしつけと体罰がセットになって「教育虐待」になるのかなと思いました。
ニュースになるような教育虐待のケースは本当にひどいです。
包丁が出てきたり、大怪我を負わせるような暴力をふるったり。
でも、子供の勉強につきあっていてまったくやる気のない態度にイライラして怒鳴ったり、「○○できないならもう△△しなくていいよ!」と脅したり・・・ということはやってしまったことありませんか?
これも、広い意味ではきっと「教育虐待」になるのでしょうね。
息子の中学受験で教育虐待をしてしまった
プロフィールにも書きましたが、うちの長男は中学受験を経験しています。
突然本人が受験したいと言い出したのですが、受験するからには合格させてやりたい、成功体験を積ませてやりたいと、わたしが張り切ってしまいました。
まず中学受験に関する本を買って読んでみると「中学受験は親の受験だ」なんて書かれています。
確かに、まだ小学生で受験なんて一度も経験したことがない子供ですから、何をどのくらい勉強すれば合格ラインに達するのかなんてまったくわからないだろうと思います。
ここはやっぱり親がある程度管理して勉強させるしかないのかも。そういう意味で「中学受験は親の受験」というのは納得だな・・・なんて思ってしまいました。
情報を集めて、問題中を買い揃えて、勉強スケジュールを立てました。
「この問題集がいいらしいよ。やってみる?」「休みの日はこれくらいがんばれる?」などと一応本人と相談しながら決めたつもりですが、子供にしてみたら「NO」とは言えないでしょうから実質的にはわたしが勝手に決めて無理やりやらせたのと同じです。
ダラダラ勉強してたり、スケジュールどおりにこなせていないときは、大きな声で怒鳴ったこともあります。
「あんたが行きたいっていうから勉強してるんでしょ!いやならもうやめる!?ママはそれでもいいよ」と、事あるごとに脅していました。
中学受験はわたしが望んだことではないし、やめたければやめればいいというのは本当ですが、こんな感情的な言い方をしたら「やめる」とは言えないですよね。
口では「やめたらいい」と言いながら、心の奥では「自分でやると決めたことは最後までがんばってほしい。最後までやり切れ」という思いも確かにありました。
教育虐待について書かれたものを読んでいて、この「本人が望んだから」というのも決まり文句なのだと知り、ぞっとしました。
うちの子が行きたがってた中学はそれほど難しい学校ではなかったのですが、これがもし難関校に行きたいという話しだったら、わたしはもっとヒートアップしていただろうと思います。
ピアノの習い事でも教育虐待をしてしまった
次男に対しても教育虐待をしてしまったという自覚があります。
次男の場合はピアノです。
こちらも「本人が望んだから」習い始めました。
ピアノって、週に1回のレッスンで弾くだけでは上達しませんよね。
家で毎日練習しないと習いに行く意味がありません。
まず毎日練習させるのが一苦労。
「毎日練習しようね」と言っても、なかなかやりません。
練習曲がつまらなくてやる気にならないのかもしれませんが、それでも出された宿題を仕上げていくのは最低限のことですよね。
わたし自身、子供のころピアノを習っていたので、先生から宿題として出されたものは少なくとも弾けるようにしていくのが当然だと思っていました。
練習方法でもバトルになります。
次男は、ちょっとつまずくといちいち一番最初にもどってやり直します。
それではぜんぜん先に進まないし、最初の部分がうまくなるだけで最後まで弾けないから間違っても戻らず最後まで弾いたほうがいいよと言ってもききません。
また、音が間違っているときに指摘するとかんしゃくを起こしてしまいます。
こちらもだんだんイライラしてきて、怒鳴りつけて無理やり練習させるようになりました。
ピアノを準備したり、入会金や月謝を払ったりとお金をかけているのに、ぜんぜん練習しない!こんなんじゃいつまでたっても上達しない!と思うと余計に腹が立ってくるんです。
次男はピアノを習いに行くのを嫌がるようになり、結局やめることになりました。
せっかく「ピアノを弾けるようになりたい」という意欲が湧いていたのに、わたしがつぶしてしまったんですね。
後で友人に言われたのですが、わたしのようなやり方を「MAMAHA」というのだそうです。
YAMAHAではなく、ママが教えるからMAMAHA。
MAMAHAは絶対うまく行かないのだそうです。
自分がピアノを習った経験があるから「こうやるべき」「こうするのが当然」というのを子供に押し付けてしまうんですね。
ではどうすればよかったのかというと、その友人いわく
- 間違った音で弾いていても指摘しない。
- 「すごい!上手!」ととにかくほめる。
- 練習しなくても放っておく
とのこと。
間違いの指摘は先生がしてくれるし、練習できていなかったらそれも先生が注意してくれます。
家で練習しなかったら、それは当然上達が遅いですが、そもそも早く上達するようにと親が焦っているのがいけなかったみたいです。
長男の中学受験で反省したはずなのに、次男のピアノでも。
わたしは教育虐待をしやすいタイプなのだろうか・・・と落ち込んでしまいます。
教育虐待してしまうタイプ!?チェックリストで判断
育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささんという方が書かれた記事に、こんなチェックリストが出ていました。
- 子どもは自分とは別の人間だと思えていますか?
- 子どもの人生は子どもが選択するものだと認められていますか?
- 子どもの人生を自分の人生と重ね合わせていないですか?
- 子どものこと以外の自分の人生をもっていますか?
参考
「教育虐待」に気づかない教育熱心な親たちの闇東洋経済ONLINE
これらに「YES」と答えられない親は、教育虐待をしてしまう危険があるとのこと。
わたしは③がちょっと微妙です。子どもの人生を自分の人生と重ね合わせてしまうことがあるかもしれません。
でも、その一方で、まったく迷いなく「YES」と言えてしまうのも危険なのだそうです。
ひどい教育虐待をしてしまう親に共通しているのは「迷いがない」ことなのだとか。
確かに、子育てや子供の教育って、毎日悩みながら迷いながらですよね。
自分のやり方は間違ってるのでは?とネットで情報を求めたり本を読んだり。
わたしみたいに過去にやってしまったことを後悔したり。
でも、迷いがあって当然。それでいいんです。
むしろ迷いなく「これが絶対正解」と思い込んで、子供にその方法があっていなくてもかまわずガシガシやってしまう親の方が怖いのだそうです。
その言葉を読んで、少し気が楽になりました。
これからも迷いながら、親としていろいろ勉強しながら、子育て・子供の教育をしていこうと思います。